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| 私の釣り歴−4− |
| 2003/10/6 |
| そして、東京に転居した。大学に行く為である。 東京には空がないと言った人が居るけど、私は、東京には海も、川もないと思った。それを求めて東京に来たのではないということはよく分かっている。しかし、それが無い、山も野もないところに来て、はじめて、それらが自分にとって大切なものであったということが分かった。 それまでは、与えられた環境の中で釣りをして来た。だが、この東京という環境は、自から選んだんだけど、その中で、どうするのだという答えのない不安を憶えた。 他方、東京に釣りをしに来たのではない、勉強しに来たんだからそんなつまらないことは考えず、ひたすら勉強すればいいのだと思った。 さらに、他方、不肖私も生ま身の人間であるから、そればっかりは出来ないよ、という気持もあった。 そんな、こんなで、とにかく釣りをやろうと思ったのである。 そこは、大学生であったから、先ず、東京周辺の釣り情報を集めた、といえば、聞えがいいけど、1冊の本を買っただけである。(今でもどこかにある、、塩地和男著の釣り場と、釣りのタックルを教えてくれた本である。後日、この本を、我が釣友と共に「バイブル」と多少の皮肉をこめて称することにした。) 次に、新宿の丸井に行き、投げ竿1本、スピニングリール1個を我が釣友と共に買った。 丸井は何でも月賦で売ってくれるから、丸井に行ったのである。 東京で、釣りをするには金が掛かる、金がないから丸井で月賦をした。このことは、「私の釣り歴」の中では、画期的な出来事であった。 金のかかる釣りをする、金もないのにそんな釣りをしようとする、それは、自分から逃げているのではないか、お前は、この東京に釣りをしに来たのか、親が仕送りをしてくれる学生ではないぞ、とかその他色々、はじめて釣りというものと人生というものを、考えさせられた。 他にも金はかかる、交通費、エサ代、遠くに行けば釣れるのではないかと思い、そうすると宿代がさらにかかる。 そんなとき、我が釣友は言った、「魚が欲しいのか、釣りがしたいのか」と。これは至言である。 魚が欲しければ魚屋に行けば、500円もあれば、結構な魚を手に入れることができる。他方、魚を釣る為に何万円も掛かることがある。 どっちを選ぶのだ、ということである。我が釣友は、ときどき名言を吐く。しかし、その釣友が、全磯連(全国磯釣連合会)に入ろうと言ったとき、不肖私は断固として反対した。釣りの世界は、連合会とか競技会の世界ではなく、それらを超越したところにあると思うからだ。 船釣りはしなかった。 金がいるし、(今や、磯釣りの方が金が掛かるが)、その金も無かったし、船に乗れば釣れるだろうが釣れればいいというものではない、釣りの心、釣りの風景、そんなものが釣りの本質ではないかという大義名分があった。しかし正直いうと自分は船に弱いからだったのである。 東京には、海がないという東京湾でも釣りをした。あそこは、歩いて行くと、すごいですよ。時間も掛かるし、ここがどこやら判らなくなる。 夕ぐれになって、どうやら、釣りが出来そうなところへ着いた。 そんな海にも魚は居た。 ボラやエイが泳いでいるのが見えた。 でも釣れない。だが、我が釣友は巨大なウナギを釣った。これが灰色であり、ぬたーっと上がって来た。通常ウナギを釣ると、仕掛けや道糸にからまって始末におえなくなる。そのウナギは、極めて始末に終え、死んでいるのではないかとさえ思われたが、死んだ魚がエサに喰いつくわけがないからとにかく生きてはいた。 そんな釣りもした。 ヨシ!今度は、青い海でもっと活きのよい魚を、と2人は思い、伊豆半島に行ったりする。 最初に行ったのは、あのバイブルで知った富戸であった。お互い、丸井で買った、投げ竿とスピニングリールを持って、また、夜釣りをしようとして、テントとか、固形燃料とかアメ横で買って行った。その重さにフラフラしながら、富戸の長根にたどりついた。青いというか、黒に近い青、これが黒潮かと思ったりして、胸をおどらせながらテントを、長根の先端に張ってしまった。それが大きな間違いであった。 そこは岩場であるから、まともにテントは張れない。テントは三角形ではなく、三十角形になってしまう。したがってテントではなく何だか判らないものになった。そんなとき、夜半、嵐が来た。 下田海上保安庁の船が漁船に注意を呼びかけながら沖を通って行った。 我々は、これはヤバイんじゃないかと思いつつ、あれは海のこと、我々は陸にいるから大丈夫と思いとどまった。 しかし、雨もザンザン降るし、風も吹いてくる。そんなとき、魚もどこかへ避難している筈だということは、あとで分かったが、そのときは分かっていない。 釣ることよりも、釣る為の身体的条件をととのえなければならないから、水びたしのテントの中に暖をとるべく、固形燃料に火をつけるが、そんなものは、何の役にも立たず、無くなってしまった。 着ているものもすっかり濡れている。 そこで、我々は決断した。すべての衣服をぬいで、まだ、それ程濡れていないパンツとTシャツをビニールにくるみ、我が身は、ビニールの雨衣を着て、ベースキャンプから撤収することを。 グチャグチャになったテントでも、そこに火があるときは、何とか頼りになっていたが、もはやそれもない、真っ暗な嵐の磯をビニールのカッパは着てはいるが、素っぱだかで手に手を取り合って避難するのはみじめである。夜の磯は怖い。そこは、長根というだけに、陸地まで相当な距離がある。あの恐怖とみじめさは、また一つの危機体験であった。 どこへ避難したかというと、近くの別荘であった。 こういう状況のときは、緊急避難として住居侵入は正当である。 ドアはもちろんカギがかかっているから、これを解錠する技術を持たないから雨に濡れない少しばかりの場所に2人してうずくまった。そして、燃えそうなものを集めて何とか火をつけようとした。 不肖、私が、そんな苦労をしているのに、我が釣友は、死んだように、横たわっている。本当に死んだのではないかと思い、オイ、オイと声をかけながら、体をゆすってみた。ちゃんと生きている。何だ、こいつは!体力の限界だったのか、無駄な努力をすまいと死んだふりをしていたのか、今だに分からない。 そのうち夜は白々と明けて来、ああ、もう死なないと思い、少し眠った。そして、太陽が高々と上がり、我々は、現場に戻った。無残なテントが残っており、何の不幸もない釣り人達が7〜8人居ただろうか。このテントはあんた達のものか、というから、そうだと答えざるを得ない。遭難したかと思ったというけど、当方は、あいまいな顔をしていたが、我々は遭難したんだ。生きて、ここに戻って釣りをしているけど、数時間前は遭難していた。 |
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