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| 私の釣り歴−3− |
| 2003/10/3 |
| 高校生になって、あまり釣りをやらなくなった。多分、色気が出て来たからだろう。 そして、レンゲ畑に、あお向けに寝て、“うらうらに、照れる春日にひばり上がり、心かなしも、独りし想えば”なんて、想ったりしていた。 高校入学のお祝いに、親戚のおじさんから、高価な竹竿をもらった。銘が入っている、うるし塗りの8本継鮒竿である。 これで、何でも釣るものだから、40pくらいのナマズをかけてしまい、穂先を折ってしまった。 (今、竹竿作りをしているけど、そのときは修理できず、使えなくなってしまった) 釣りとは違うが、潜って魚を突くこともあった。(これは釣りより確実) 先ず、ホコ(関東ではヤス)を自分で作る。 金物屋で太い番線の針り金を1mくらい買って来、その先端をガスコンロにあぶり真赤にし、これを、石の上でカナズチで叩く。ペッタンコになったら、ヤスリでとんがらせ、モドリもつける。一方の端を4〜5p直角に曲げて、ホコ部分は出来上がり、あとは、竹をとって来て、下図のようにする。 ![]() そうして、右手で握るならば、竹の止め溝を右側に作り、ホコの後端を入れ、ゴムを引いて、これに掛ける。 打つときは、人差し指を、左にこねて、発射する。射程はホコの長さに比例する。 これで、鮒、ウナギを突いていたが、ナマズだけは、どうしても突けなかった。何故かというに、鈍感に見えるのは顔の性、彼らは極めて敏感である。彼らの生息場所は、岸から灌木がおおいかぶさっているところのヘチ、つまり、そこは砂場であり、岸に向い浅くなっており、行きついたところは、灌木の根によって天井があるような場所である。 ![]() こんな場所である。 そこを探したりするが、他の場所で見つけても彼は、必ずそんなところへ行く。逃げるのではない。行くのである。不肖私は、ヨシ!追いつめたぞと思ったのだが、誘われたのである。我が武器の射程距離内に入った。 追いつめたと思ったとき、また、そんな場所で対面したときも、彼らは、その小さな目と、我が目が合った瞬間、ブルッと尾ビレをふるわせて視界から消える。4〜50pある巨体が消えるのである。そこは、砂場ではあるが、その中には微細な土があるから、これが煙幕となって、人間の視界はゼロとなるのである。 今度こそは、と思い、何回トライしても結果は同じであった。ナマズは偉い。 しかし、彼らも、農薬には弱い。悪い奴が川にゲランという農薬(気の根)を、我がテリトリィの堰で、石でコツコツと叩いていた。ここは俺の釣り場だ!やめてくれ!と言いたかったが、相手は大人だし、3人も居り、殴られそうだったので黙っていた。すると、小魚が浮いて来た。近所のおばさん達も出て来た。 文句を言ってくれるのかと思いきや、手に手にザルを持っている。彼女らは知っていたのだ、鮎が一番先に浮いてくるということを。私は知らなかった。この川に鮎がいるということを。何故かというに、釣ったことがないし、潜ってみても、それらしい姿を見たことがなかったから。 だから、浮いてきたのは、ハヤだと思っていた。しかし、ハヤは誰も食べない魚だ。すると、何だろうと思い、不肖私もザルを持って出て行った。 なんと、全部鮎ではないか。 しかも、腹が黄色い天然の鮎であった。この川にも、鮎がいたんだと感動しながら、しっかりザルいっぱい獲った。 (ゲランで浮いた魚は、真水にもどせば早いうちは生き返るし、食しても害はない) そのとき、青大将のようなウナギがフラフラしていた。 これはザルには入らないと思い、そこは地の利、すぐさま我が家から、食卓にかぶせるカヤ(?)(既に、そんなものはなくなったがそのころは、そんなものがあった。柄のないコーモリ傘状で、生地がカヤだと想像すれば良い)を持ち出し、巨大なウナギを確保した。 鮎もウナギも食べることはしなかったが、何というか、狩猟本能のなせる業だったのだろう。 もう少し、釣りに熱心であったなら、鮎を釣ることを考え、実行していたろう。(今だに、鮎を釣ったことがない。それは鮎釣りに行かないからだけど・・・) その川で鮎釣りをする人は誰一人居なかったのだから、やれば独壇場であった。しかも、すべて天然の鮎である。 鮎は友釣りで釣るということは知っていたが、おとりの鮎を売っているところも無かったし、釣りにお金をかけるなんて思ってもいなかったころであった。 今思うと、落ち鮎のドブ釣りは金もいらず、簡単に出来ただろう。(そのころは、ドブ釣りの知識がなかった。釣りの本など読んだこともなかった。) 友釣りも、手持ちの竿で出来た。 川巾はせいぜい2〜30mくらいであり、瀬は、ヒザくらいの水量の川であったから、竿は8本継の鮒竿で可能であった。そうしていたら、地元で釣り名人と言われたかも知れない。一度、名人と言われる老人(開業医)が、我がテリトリィに来たらしい。橋を渡る人達が立ち止まって、見ていたという。(私は見ていなかったが、オフクロがそう言っていた)何でも、一投ごとに釣り上げ、離していたという。 今でいうリリースするなら、釣りをするなと思っていたし、今でもそう思っている。 このことは、釣りという世界の中でとても重要な問題であり、不肖私も一家言あるから、別に項目を定めて書くことにする。 万葉集の中で、面白い歌があった。 「お前は、元気ないから、ウナギを獲って喰えよ、 但し、お前は軽いから、川に流されるなよ」 という意味のものがあったことを憶えている。 ああ、万葉のころから、ウナギは栄養価の高い食いものとして認められていたんだ、と思ったけど、そのころウナギを食したことがない。 ウナギは何回か獲ったことはある。しかし喰べなかった。 ウナギに限らず、淡水の魚を喰べる食習慣がなかった。 |
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