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| ファイリングシステム |
| 2004/6/7 |
| 1.現在ファイリング(記録)の主流は文書による。しかし、相当部分は既に電子化されている。文書→電子への過渡期である。 「ことば」だけでなく、人間が「文字」を発明したことは大革命である。それは、おそらく、その人間社会において記録する必要に迫られたからであろう。そして、それら記録は、紙の上に記されるから、物理的にその量は膨大となってしまう。 紙に記録すると地球の表面積以上の紙が必要だが、わずかのフロッピーで同じことができるようになった。そうすると、記録はそのうちすべて電子化される。 電子化されにくい記録は、“契約”である。 だが、それも電子化されつつある。契約という事実、すなわち、当該事実の記録(証拠)が電子化されたら裁判も電子化され得る。何も、法廷に行って、訴状のとおり陳述するなどと言うこともない。訴状自体は文書化された一当事者の主張であり、そのことを後に残す記録であるから、電子化された方が機能的である。そうなると、人間社会におけるすべての思想表現は電子化されるのだろうか。 人間社会における記録というものが文明の核であることに気付いたのが、ビル・ゲイツではなかろうか。彼はwindowsという記録装置を創った。 それは、基本的原型であるから、この世には多種多様の世界があるのだから、それぞれの世界(業界)で、通用する原型(モデル)を作る必要がある。例えば、当法律事務所の記録を電子化すれば、スペースは相当部分広くなる。現在でも相当部分電子化され得るが、契約や、裁判上の記録は文書であるから、それらを電子化するに過ぎず、二重手間となるから、そういう部分は電子化していない。 文書という記録がほとんど無くなれば、森林は伐採されず地球環境も良くなる。 コンピュータというものは、もともとの言葉としては計算機である。そのニーズにより発明されたものである。 ところが、副産物として、文字に代わる記録手段としての効用があり、それ故に、その分野において発展したし、また、しつつある。 2.そういう状況(歴史時代)に我々は生きている。そのことを自覚していないと、コンピュータに人間が負けることになる。 現代の若者が自信を持てない根本は、究極的に、(本人は自覚していないだろうが)どんなにあがいてもコンピュータに代表されるシステムには負けるという意識が潜在的にあるからではないのか。コンピュータも大企業も政治のシステムも人間が作ったもの、単に一つの装置に過ぎない。しかも、その企業も、政治も、何も、コンピュータが無ければ、機能が停止するが、それは、我々人間が作った装置、平たくいうと、道具にしかすぎないことに気付かなければいけない。 自分が作ったものに支配されるのは自己矛盾である。(あたかも自分が作った子に、支配されるように…) それは、どこかおかしい現象である。そこに気付いたら、その自己矛盾は調和され、新しい世界が見えて来る。そして、希望と勇気をもって、結果はどうあれ、あゝ、生きていて良かったと思うのではなかろうか。 多くの人々がそう思う社会が良い社会である。 政治、経済という良く判らないものが悪いといって逃げるから、自己の幸せを掴めない。 サルトルという哲学者は、この世の価値はすべて政治権力に依ると言ったそうだがそれは違う。それは、自分達が作った装置(政治機構)に支配されているという負の自覚である。政治機構も、コンピュータも人間が作った装置である。それが、人間社会には必要なのである。そして、個としての人間からみれば、それは悪である場合もあるが、それは必要悪なのである。(自分達人間が作ったのだから)それは、永遠に無くならない。Aを無くせばBが出てくる。その繰り返しである、人間の歴史は。 3.ファイリングということから、人間哲学的方向に来たが、ファイリングというものは、組織として活動する人間の集団にとっても必要不可欠なものであり、形式的ではなく、実質として重要なものである。人間の活動という点で、企業活動(営利行為)と芸術的活動は対極にあると思われているが、それも同じことである。企業活動の記録、芸術活動の記録は、外観的には様相が異なる。しかし、核としては同じ。それは人間の営みの態様の違いである。 そんな人間社会の玉石混淆した関係を科学的にも芸術的にも整理整頓する。それが究極のファイリングシステムであり、そのことによって、自己矛盾の体系的存在である人間並に人間社会が、次なる展開の希望が持てるようになるのではないか。 (蛇足:次なる展開になっても、さらに次なる展開を志向し、とどまるところを知らない。それ故に生きているとも言える。とどまったら死、終りである。) |
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