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弁護士の随筆
釣     り 歴    史 そ  の  他
歴史と法律−その共通点− ◆大和政権と神社
   1.はじめに
   2.宗像神社と北九州王朝
3.宇佐神社
4.応神の上陸地 @A
5.伊勢神宮


大和政権と神社−3.宇佐神社−
2004/5/6
大分県宇佐市、国東半島北側の付根辺りに在る。
瀬戸内海を東征するにあたり、兵站(出発基地)としては格好の位置である。
宇佐宮の祭神は、神功皇后、応神天皇そして、三女神(宗像三女神のうち二神と、もう一神は地元の神か?)である。
このことは、応神と宗像族が連合した事実を表すものではないか。
宇佐神宮は、北九州王朝が東征に成功し、大和朝廷を成立させた後に、出発基地にモニュメントとして建立したものであろう。
宇佐宮は八幡宮ともいわれ、古来武人の神とされている。
また、全国津々浦々、2万4000体も八幡様が在ると言われている。
ついでながら、八幡はヤハタと読む。北九州市八幡区はヤハタと読む。ハタはパタに通じ、パタは朝鮮語で海のことである。さらに、神社の杜(モリ)は、朝鮮語で頭、大切なところ、という意味である。

本論に戻ろう。
後に応神天皇と称される、王に率いられた九州王朝の軍団は、宗像族の協力を得て、宇佐に集結されてゆく。
北九州から瀬戸内海に出るには、潮流のはげしい早鞆の瀬戸(関門海峡)を経なければならない。当時の船では、この難所を船団で航行することは極めて困難であり、危険であった。したがって、瀬戸内の西の入口にあたる宇佐に兵員、物資を集結する必要があった。
一方では、海人宗像が瀬戸内海を東進し、同地域の海人から畿内勢力の情報を収集したことだろう。
その際、広島は、宮島に前哨拠点を設けたのではないか。そこには現在でも有名な厳島神社が在る。その祭神は宗像神社と同じ市杵嶋姫であり、厳島(イツクシマ)は市杵島(イチキシマ)に通じる。応神、神功は祭神となっていない。もちろん、東征する応神軍団も宮島を前進基地としたことだろう。宮島は島であり、厳島神社の鳥居は海中に建てられている。それは、その神社の神々が海から来たことを物語るものである。応神が厳島神社の祭神となっていないのは、そこが目的地ではなく、同地にはさしたる興味がなかったからであろう。
しかし、宗像族にとっては、瀬戸内海の拠点として重要な地であった筈である。
それ故に、応神そしてその子孫が(ここには少々問題があるが、この点は、また、別の機会に考察するとして)大和朝廷を確立したときに、厳島神社として、それは、宗像族のモニュメントとして建立されたものと思われる。
こうして九州王朝は、発信基地、兵站としての宇佐から宮島に前進し、大和に向かい東進した。(まだ、調べてないが、宮島から、大阪は住吉に至る間に、中継基地が必ずあった筈で、その地には、モニュメントとしての応神又は宗像に関係する神社が必ず在る筈。私はそう確信している。)



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