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| 大和政権と神社−2.宗像神社と北九州王朝− |
| 2004/4/26 |
| さて、九州王朝の本拠地について、記紀の神武東征では南九州であるが、私は北九州と考えている。日本における弥生文明の発祥地であり、奴国の金印(AD57)、「魏志倭人の条」には北九州に多くの国々が記載されていること(AD239)、北九州地方から出土された、鏡、剣、等多くの遺物からそのように考えられる。 他方、九州南部には大和朝廷成立後においても熊襲、隼人は、まつろわぬ民であった故に南方説は考えにくい。 この北九州における神社で、権力と最も関係の深いものは、宗像神社と思われる。 宗像神社は宗像郡玄海町に在り、沖ノ宮(沖ノ島)、中つ宮(沿岸の大島)と辺つ宮(玄海町)の三宮から成る。 祭神は瑞津姫、田心姫、市杵嶋姫のいわゆる宗像三女神である。 沖ノ島からは、近年多量の鏡、剣、玉等の遺物が発見されたことは有名である。 この沖ノ島と辺つ宮と結ぶ線上(神社からは北西方向)の先に対馬北端があり、さらに、その先には、南朝鮮の伽耶(任那ともいう)地方に及ぶ。 北九州と伽耶諸国の交流は、この線上の海路によって行われたと考えられる。G.P.Sなどなかった時代であるから、北九州から伽耶を目指すときは、沖ノ島、対馬が重要な目印であり、逆の場合も同様であったことは想像にかたくない。これは一衣帯水といわれる北九州と南朝鮮文化圏における交通のメインストリートと見て良い。 宗像族は海人であり航海者であるから、北九州王朝が東征する為には、陸路は整備されていないころだから船と航海者は不可欠なものであり、勢力拡大(東征)の為には、宗像族と協調せざるを得ない。また、通信手段のないころであるから、情報は海路を行き来する海人から収集することになる。 他方、宗像族としては、豊饒の海、交通の要路である瀬戸内海へ北九州王朝の武力と共に進出できる。 このような両者の利害一致により、九州王朝は東征し得たものと思われる。 |
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