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| 大和政権と神社−1.はじめに− |
| 2004/4/19 |
| 大和朝廷成立のプロセスを神社との関係で考えてみたい。 古来、政治は“まつりごと”と言われているから、大和政権と神社には密接な関係があったに違いない。 ところが、学者先生方は、神社(神道)が、政治(軍事)に利用された過去の暗い事実の性か、神社と大和政権との関連の研究を避けているように思える。 だから、素人の私が、乏しい資料をもとに、その関係を空想してみようと思う。 神社は、祭祀をとり行う施設であるが、政権との関係でとらえると、それは権力の象徴であり、また、これを表彰するモニュメントと考えることができる。 建築物としての神社は、記録上、伊勢神宮が最も古いものとされている。(7世紀後半.第1回式年遷宮)そうだとすれば、それ以前は、岩座などの一定の聖域で祭祀がとり行われていたということであり、それ以後は、その聖域に神社を建てるようになったと考えられる。ここにおいて、権力と神社は万人の目に見える形で関係づけられた。 大和政権(朝廷)成立のプロセスについては、畿内=大和地生えの勢力が基となり、日本列島(以下日本という)全体に勢力を拡大してゆき、中央集権国家体制を築いたという考え方と、その勢力は九州(北九州)の勢力であって、畿内の勢力はこれに制圧されたという考え方があるが、私は後者をとる。 その理由は色々考えられるが主として下の三点である。 @弥生時代から古墳時代を経て、大和朝廷の成立に至るまでの時期は、 一言でくくると人々を含めて文明は西から東へと移動して行った時代であること。 A記紀に、「神武東征」の説話が記されているという点。 B権力と神社との関係という視点から見ると神社も九州から東進したと考えられること。 (北九州、瀬戸内に在社が多い) 北九州勢力(九州王朝とも言われるので、以後九州王朝という)が東征したとすれば、いつ、だれが、どうして、という点を明らかにしなければならない。 主人公は後の応神天皇と考えるので、時期もそのころ、すなわち、4世紀半ばころか。どうしてかは、結論的には日本全土を制圧しようとしたからであり、その為には、日本の中央部に進出する必要があったからであろう。 応神が北九州に居たことは記紀にも記されていることであり、天皇の中で「神」の字をあてられているのは、「神武」「崇神」と「応神」の三者のみである。神武は神話上の存在であり、崇神はよく分からないが、応神の生没は不明だそうだが時期としては最も新しく、応神、仁徳陵の存在からして、実在していたと考えられる。 |
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