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お金と法
2003/8/20
動物の世界にはお金はない。
しかし、法はある。(法文はないけれど)
サルの世界では、ボスの意思が法である。法は、集団生活をする生き物の中には必然的に存在する。
無人島で独りで生きてゆく場合、法もお金も必要ない。それが、2人、3人となると、お金は不要だが、法(ルール)が発生する。
その場合、多分、力の強い者がルールを作る。(サルの世界と同じである)
人間社会にお金が生まれたのは、人が分業するようになってからだと思われる。
当初のお金は、それ自体に経済価値があったから、物々交換の域を出ていなかったように思える。
しかし、現在は、お金とは、経済学上、「観念」なのだそうである。
不肖私は、「紙」だと思っている。事実そうだし、「観念」が無くても困らないが「紙」がないと困る。100万円の束を手にして、それが「観念」とは思えない。それは「紙」ではあるけど、これで何が出来る、何が買えるとうれしくなる。
お金とは、そういう意味では、観念ではなく現実である。

お金は、法律により作られたものであるが、法で規制し得ない。せいぜい金利を規制するくらいである。お金は経済発展段階で必要となり、法の下に造られたものであるけれど、法はそれが生んだ子をコントロールできない。
あたかも、親が子をコントロールできないように。
そのどちらも、一人歩きするから。

だが、お金と法は切っても切れない仲にある。
貸した金を返えしてくれないときは、法に訴え、借りた金を返えせないときも法にすがる。
そんな世界で、弁護士は、貸した金を取り立て、借りた金を返えせない人の為に貸主とたたかう。
そういうと、えらくカッコイイがそれが仕事でお金をもらっている。
お金が、観念であるということは、よく分からないが、法は観念であるという点は良く分かる。そして、お金は法が作ったものということも分かるから、やはり、お金は観念の所産なんだと思うに至った。
しかし、お金は極めて現実的であって人そのものが、お金に支配されてしまうこともある。
その点は、法も同様に現実の存在であり、人を支配する。
観念の所産は人と、人の社会をコントロールするが、純粋観念は人も社会もコントロールし得ない。
ならば、お金や法は不純観念なのか。多分そうだろうと思う。
何故、不純かというに、お金も、法も人の不純さと密接に関係する観念の所産だから、という極めて短絡的結論なのである。
平たく言うと、欲、得の世界で生きてゆく為には、お金も法も必要悪であって、人は、生存競争に負けるとお金や、法から支配されてしまう。
また、違う方向から、見ると、それらは、不純なる人の世の秩序を維持する為の一つの基準でもある。
お金は、経済界に一定の秩序を保たせる為、法は社会全般の秩序を維持する為の基準であろう。
、、、であろう。なんて人ごとのように言うのは、お金も法律も無い、ユートピア(観念の世界ではあるけど)へのあこがれがあるからだろう。
常々、我が職業は、すばらしく俗っぽいものと思う。
(すばらしく俗っぽいという日本語として曖昧な言葉は、少々のユーモアと自虐をこめたもので、決っして「すばらしいものでもあり、また俗っぽいものでもある」という意味ではありません)



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