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弁護士の随筆
釣     り 歴    史 そ  の  他
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◆竹竿作り
   /2
◆竹の竿というもの
   
◆竹竿作りの技術として
   


竹竿作り−2−
2004/2/16
そのころ、作った竿で、葉山にキスのボート釣りに出掛けた。
我が竿は、合わせた瞬間、ギクッという音がした。継ぎ(インロー継ぎ)が折れたのである。いっぱしの竿作りをしたのに、何なんだ、これは!
あとで判ったが(そのときは判りたくなったが)継ぎの部分が密着していなかったのである。少しガタがあるが、相手はキスだからそれ程の負荷はかからないから、これで良いだろうと思っていた。
それは間違い、キスは重くないが、合わせるときに、継ぎ部分にかかる負荷は相当なものであるらしい。ボート屋のアンチャンは、「すごいですね、和竿じゃないですか」とおせじを言ってくれたけど、我が和竿はそんな程度であった。

それから、しばらくして、神奈川県在住の職員が新聞(神奈川版)に、和竿美術館があって、そこで和竿作りも教えていると教えてくれた。
相模湖の近く、藤野というところへ行って見た。
竹竿(和竿)を陳列しているところを見る。淡水の竿が多い。だが、磯の石鯛竿もある。昔の、青ギス竿もあり、ハゼの中通し竿も、紀州ヘラ竿もある。何で、これが、藤野の山奥にあるの?どうして、江戸は、東京にないの?と思う気持ちがあったし、今もある。
館長が来た。温厚な雰囲気の人である。しかし、どこか、強烈なものを秘めている感があった。
和竿というものを説明してくれる。
私が釣りをはじめたころは、竹竿しかなかった。懐かしいから、竹竿を作るようになり、この美術館へと来る運命となって、すばらしい竹竿があることを知った。
そのことを、自分が素直に受容できない、何かがあった。
世界が違うというか、自分にはこんな高度な、文化としての釣りも、竿作りも無縁であったからそんな気がしたのだろう。
こんなこともしてるんですよ。と言って、和竿作り教室を見せてもらった。そこに、2,3人竿作りをしていた。どうですかと言われ、不肖私とは少々釣りの世界観が違うと思いつつ、入会したのである。
10番目の弟子となった。
我が釣友を誘い、12,3番目の弟子にしてもらったが、彼は、物を作るということが苦手のようで、2,3回行っただけである。
不肖私は、物を作ることが好きなのに、弁護士という何も、物を作らない職業に就いてしまった。だから、和竿作りにはまったとも言える。

これから、素人が、職人の世界を垣間見た体験、そのプロセスを書こうと思う。我が師匠も、もとは素人で、和竿作りにはまった人だから・・・。

本職の竿師に後継者は居ない。今や竿は、カーボンロッドの世界になっているから、和竿作っても喰えない時代となってしまった。
この伝統技術を後世に残すのは、プロではなく素人であろう。
毎週日曜日には欠かさず、藤野の和竿美術館に通うようになった。それから、10数年経て思うに、それは、私の釣り歴から見ると、画期的出来事だったように思う。
竹を刈りに行ったり、その技を払い野ダメ(第一次火入れ)をしたり、竹が、以外にくねくねと曲がっていることを発見したり、竹は、火を入れなければ強くならないということを体験したり、竹博士の本を読んで、竹は、何年経っても、幹は竹の子のときより大きくならないとか、竹の子のおいしいのはハチク(淡竹)であるとか、孟宗竹は300年くらい前に中国から入って来たものであるとか、古事記で、ヤマトタケルのミコトが、我が妻が黄泉の国(死の国)に行って、あとを追いかけたら、おどろおどろしい姿になった我が妻に追いかけられて、エエーイッ、お前はこれでも喰っていろと、投げたものが淡竹の竹の子であり、それは、そのころ、女性の大人のオモチャ的存在であったということを知ったりした。
(不肖私も、何かの縁で、古代史に興味を持ち、それなりに本を100冊くらい読み、それなりの私見を持つに至ったが、この竹の子の話は、古代史の世界にはなく、竹の世界にあった。)

少々横道にそれたが、和竿作りの世界に足を踏み入れて、それまでの人生では無かったものを感じた。
そこで、よく分からないけど、竿作りの世界に我が身を置いているとき、それまでの人生になかった、安息感というか、充実感というか、とにかく、そのひとときが、自由で、自然で、すべての苦悩から解き放され、あゝ、これが、自分が探し求めて来たものではないかと思ったりした。
はじめて、女性と接したときもそんなように思ったように思う。
だけど、それは、或る面ではそうではあるが充足(パーフェクト)ではなかった。少なくとも私にとっては。
齢50にして、また、別の世界でそんな思いをしたということは幸せと思う。
不幸なのは、その世界、その中だけで生きてゆけない自分の人生の結果なのである。
その世界では、家族を養えない。だから、本能的に、家族は作りたくなかったのだけど、世のしきたりに負けて家族を作ったのは自分の責任である。
そんなこんなの中で、竿を作っているときは、何も考えず、そのことだけに集中している。そんな自分の状態が好きなんだと思う。
はまっていたころは、メシも喰わず、ヘトヘトになるまでやってしまう。
でも、最近は、ときどき休むようになった。それでも、左ヒジは、腱鞘炎か、今だに痛むことがある。左手で、竹をまわし、右手で絹糸をひっぱって、継ぎ部分を巻く。(竿に巻く部分は相当あり、これを、一時に5.6本作るようになると、左腕には、相当の負担がかかるのだろう。)



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