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弁護士の随筆
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釣った魚は喰べること
2003/11/26
釣った魚にはエサをやらないが、釣った魚は喰べるべきだと思うに至るまで長い時間が掛かった。魚は喰べないのに釣る楽しさだけで、釣りをしていたとき、心のどこかに引っかかるものがあった。自分の楽しみで、生き物を殺すことは良くないという思いがあった。

人間が(動物もそうであるが)喰べるものは、すべて生き物である。他の生き物の生命をとることは、自分が生きる喰べものとすることで道徳的調和が保てるという至極哲学的であるようだが、単純なことで、心の引っかかりを処理するようになった。だけど、自分が獲って、生きている時を見てしまうと何かしら哀いそうな気がする。

高校の漢文で、ある国の王女(?)が、儀式のいけにえとされる牛が、それを察して動かないのを見て、可愛そうだと思い、他の羊か何かに変えさせたという話があった。しかし、牛の代わりに羊にしても羊が可愛そうであって同じことではないかと反省した王女に対し、孔子は「それ、すなわち仁なり」と言った。何だか、分かったようで分からないので、今まで憶えていたのだろう。これを魚におき代えると、自分が釣った魚は牛であり、魚屋で買う魚は羊なのである。



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