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「日本の敗因」(小室直樹著)を読んで−2−
2003/9/28
4.小生、常日頃思うことは、日本という大きな組織、或いは、自分という小さな存在の、現在並びに将来いかに在るべきか、または、どうなるのかを考えるとすれば、それぞれの過去を研究し、分析し、間違いがあれば是正し、良いところはさらに伸ばすことしかない。大義名分や理想論を並べ立てても国も自分も変わらない。
したがって、国家社会を指導する立場にある人々の資質として歴史を科学的に学ぶことは不可欠な要素である。
戦前、日本の歴史は皇国史観により支配され且つ人々は教育された。しかしながら、皇国史観は出発点が神話であり、科学ではない。
天皇の神格化による国民思想の一本化、これによる絶対服従という戦争遂行上極めて強固な精神的要素を国民に植え付けることには成功した。
それ故に日本軍は強かったのであろう。
歴史を学ぶことは両刃の剣に触れることである。
史観により価値観が変わる。しかし、科学的に学ぶということは、或る歴史的事実を色々な視点から見るということである。
人間のなせる業であるから、様々な見方もあり、批判もあることは当然のことである。歴史に限らず、ものを学ぶということは、先ず情報(事実関係、知識)の収集であり、次にこれらを分析(分類)することである。分析するときに、分析者の価値観を伴うが、これをなるべく加えず、客観的に分析する姿勢を保たなければならない。(学問的中立性)
このプロセスを経て初めて、たとえば、或る歴史的事実がどうして起きたのか、そしてその要因はA.B.Cと考えられるという判断が可能となる。それ故、その判断は科学的と言えるし、間違いが少ないものとなる。
また、その判断が出来れば、当該歴史事実の発生は必然ではなく、X.Y或いはZという選択肢もあったという判断が可能となる。
この思考プロセスが科学的と言えるのであって、人間の思考はその対象が自然界の現象であれ、人間界の(社会的)現象であれ、このプロセスを経ていない判断は科学的ではなく独断である。
天才の独断は、しばしば正しいが、後続が効かない。凡人の科学的判断は後続され、それ故に学問、科学となる。何故なら、思考のプロセスを明らかにしているからである。

5.著者は、大東亜戦争の敗因を分析し、人材の要請が重要であるという。そのとおりである。それは、物理・数学の英才教育機関を作れという点である。
勿論、そういう人材が必要且つ重要な人材であることを否定しない。
著者は、大東亜戦争においても、飛行機、戦艦、新式魚雷等については日本の技術はトップレベルであったが、これを用いる戦争指導者に問題があったと言っているのである。しかるに、指導者を養成せよといわず、技術者を養成せよとは、どういうことなのか。

6.著者の言う、資源(石油)を確保するのが目的なら、インドネシアを植民地にしているオランダにのみ宣戦すれば良かったのではないかという点は空論ではないか。
小生は戦略については素人であるが、オランダとのみ戦争することは非現実的も甚だしい。よしんば、オランダに宣戦し、インドネシアを占領したとする。(それは、歴史が示すとおり容易なことであったろう)
しかし、インドネシアから日本本土までの補給線(シーレーンを含め)付近には、米(フィリピン)英(シンガポール、香港)仏(ベトナム)の植民地があり、それぞれ軍隊も駐留している。彼らは同盟して、それぞれの権益を守ること必至で、日本の暴挙を黙認するはずがない。そこで、米、英、仏と戦争になる。そうなったとき、最も怖いのは米太平洋艦隊である。それ故に真珠湾攻撃は必要不可欠であった。
ところで、現代の国々において、アメリカがあらゆる分野でダントツである最も大きな要因は、軍事力のみではない。それは、あらゆる分野(学問、軍事、芸術etc)における情報収集力とその分析力に起因する。
情報収集は金が掛かることであり、また、そのことが極めて重要なことであるとの認識が必要である。それ故に金が掛かっても情報を収集する。収集した情報を分析することによって、利潤を得、或いは国益を守り得る。アメリカは、このことを最も早く認識し、且つ行動している故に国家的にも企業的にも群を抜いているのである。収集、分析した情報を基に、国防、外交、政治、経済の方向性を策定する。しかし、策定(判断)するのは一人間であり、国家であれば大統領はじめ高級行政官であり、企業であれば経営者及び大株主である。
それ故に、それら判断は間違うことがある。
ダントツになると、その者はアノミーになる。それ故、しばしば判断を間違うことはどこの国も同じである。
今時大戦後、ダントツとなったアメリカは、その後の戦争で勝ったことがない。唯一湾岸戦争で勝った感があるが、あれは戦争ではない。集団的イジメである。

7.アメリカは、ソビエトの崩壊によって、軍事的に揺るぎない地位を得た。
したがって、いずれ、衰退する。それは、歴史の必然である。
為すべき重大課題を解決し、今や、他国の内政干渉にうつつを抜かし、国内では、より快適、より裕福な生活を求め、利殖に走っている。金銭はその為の手段であるが、現下のアメリカ国民においてはそれが目的化した感がある。
丁度、日本におけるバブル絶頂期と同様である。これが崩壊したとき、アメリカには本来的思考である自給自足の思想がよみがえるであろう。アメリカはそれが可能であり、その国力はその可能性によって裏打ちされている。
ところが、日本は自給自足の基本を経済発展によって放棄してしまった。植民、それがダメなら貿易による利潤の追求をした。日本の実情からして已むを得ない選択だったと言える。しかし、貿易によって豊かな経済力を得ることも叶わぬとき、何を為すべきか分からないでは困るのである。(現在はその兆候ある時)
今、為すべきは基本的には自給自足の体制を採るべく、あらゆる分野を整備することである。
次に、政府(経済官僚)は、企業の利潤追求に助力することを辞め、断片的な福祉政策ではなく、国民の幸福とは何かを考え、、これを目的とした政策を実施すべきである。
そういう状況にあるとき、経済的競争力を高め、これに追いつき追い越そうという従来の姿勢を変革するとの発想が前提としてなければならないのであるが、彼らには発想の転換が出来そうにもない。
従来の方法で成功し、且つ失敗したという教訓を忘れてはならない。
その姿勢が間違いであるというのではない。
その姿勢と努力は維持すべきであるが、再び連戦連勝の夢を見るべきではない。
国内生産において、国民の衣食住を充足し得べく産業構造を変革すべきである。それは、国家が為すべき最小限度のことであり、且つ、これで足る。
国家が為すべきことは、企業に利潤をもたらすことではない。基本が叶わずして、応用を考えては本末転倒である。政治、行政が為すべきことは国民の衣食住を足らしめることである。ブランド製品を身につけ、自家用車を持ちながら安アパートに住んでいる国民を中流だと錯覚させることに、或いは錯覚していることに、我々は恥じなければならない。
この認識を一人でも多くの人達が保有することが現在の日本にとって最も求められるものである。



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